東大生のノートは美しい、だから何だってんだ。
久しぶりすぎる更新。
僕みたいに人のアラ探しが大好きだと、いろんなとこにケチつけたくなるんですね
ほんで、話題としては結構古いですけど
「東大生のノートは何故美しいのか」みたいな本をBOOKOFFで見つけたので読んでないけどケチつけます。
ノートが美しいから賢いのか、賢いからノートが美しいのか
これ大事。
「賢いからノートが美しい」なら、ノートの美しさを真似したって賢さはついてこないわけです。
だってそうでしょ、「カラスだから黒い」のであって、君がどんなに黒くなったってカラスにはなれないんだから。
じゃあ、「ノートが美しいから賢い」のか。ノートが美しいぐらいで東大入れるんだったら東大生のノートコピーして教科書にして写経でもやらせとけば国民全員東大生なるで。ならんやろ。
なるほどほんなら
「東大生のノートは何故美しいのか」みたいな本の目的を履き違えてたのかもしれない。
僕は「その本を読めばノートの取り方を通して東大生並みに賢くなれる」と思っていたけど、この前提を覆せば納得がいく。
「その本を読めばノートが東大生並みに美しくとれる」とすると、
多分その本には「東大生はこういう視座でノートを取ったり、こういうノートの使い方をしているので、きれいにノートがとれる」みたいな事が書いてあるんだろう。何の役に立つんやそれは。
ほんで
ハロー効果を狙ったものじゃないので邪推しないで欲しいんですけど、僕には東大生の友達が何人もいます。
高校時代の彼らのノートは、そりゃあ美しい人だっていましたけど、ノート取らない人だっていましたし、きったないやつだっていました。
字が汚いとかじゃなくてもうきったないの。
もう「東大生のノートは美しい」って前提自体が崩れちゃってんの。東大生じゃなくたってノート美しい人だっているでしょ。
てことであの手の本の正しいタイトルはこれだ
「東大生にはノートが美しい人がいて、東大生じゃなくてもノート美しい人はいるんだけど、ノートが美しい東大生はこんな感じでノート取ってます。どう?すごくない?」
何の役に立つんやそれは。
書き始めはもうちょっと体系立ててかけると思ったけど頭悪いからうまく文章書けないわ